地蔵院の供養について

地蔵院は、日本の仏教宗派の一つで新義真言宗の一派、真言宗豊山派に属しております。弘法大師空海(774~835)によって開かれた真言宗の教えは、自分自身が本来持っている「仏心」を、「今このとき」に呼び起こす即身成仏に求められます。それは、自分自身を深く見つめ、「仏のような心で」「仏のように語り」「仏のように行う」という生き方です。

真言宗の教え

弘法大師

弘法大師空海(774~835)によって開かれた真言宗。その教えは、自分自身が本来持っている「仏心」を、「今このとき」に呼び起こす即身成仏に求められます。それは、自分自身を深く見つめ、「仏のような心で」「仏のように語り」「仏のように行う」という生き方です。この教えのもと、人々が共に高めあっていくことで、理想の世界である密厳仏国土が実現します。

ご本尊

真言宗のご本尊は、大いなる智慧と慈悲をもって、すべてのものを照らす根本の仏さま、大日如来です。また、仏教に多く存在する仏さますべてを、ひとつも否定することなく、それぞれを大切に考えます。すべての仏さまは大日如来につながると考えているため、真言宗寺院のご本尊はさまざまです。

お経

真言宗が拠り所とする経典は、「大日経」「金剛頂経」です。法要の中で唱えられる主なお経は「般若理趣経」「般若心経」「観音経」など。また「光明真言」に代表される真言や陀羅尼を唱えます。また経文に節をつけて唱えるお経”声明”は広く知られており、お経のほかにも”ご詠歌”・”和讃”をお唱えすることがあります。

曼荼羅

宇宙に遍満する生きとし生けるものを仏の姿として、大日如来を中心に描き出したものが曼荼羅です。「大日経」に説かれる胎蔵曼荼羅には、広くものをみて互いを認め合う慈悲の心、「金剛頂経」に説かれる金剛界曼荼羅には、人生を深める智慧の光があらわされています。真言宗ではこの二つの曼荼羅を「両界曼荼羅」と呼び、とても大切にしています。

声明

声明は、インドから中国へ仏教と共に伝えられ中国で発展。やがて日本へと伝えられたものです。もともと声明とは古代インドの学問のひとつで、シャブダ=ヴィドゥヤーといわれ、言葉の学問、つまりサンスクリット語(梵語)の文法学を意味していました。日本では平安時代、密教僧が真言や陀羅尼の学習のために、この梵語の文法学である悉曇(しったん)を学びました。

天平勝宝4年(752年)の東大寺大仏開眼供養の際に声明が唱えられたことが記録にあります。その後、9世紀の初めに弘法大師空海により真言声明が、また中頃には慈覚大師円仁(794~864年)により天台声明がそれぞれ中国から伝えられました。

ここでは、真言宗豊山派の総本山、長谷寺に伝わる声明 「四智梵語」しちぼんご を紹介します。

おん ばざらさとば そうぎゃらか
ばんざらあらたんのう まどたらん
ばざんらたらま きややたい
ばざらきゃらま きやろばんば

四智梵語の内容は、金剛界こんごうかい の大日如来を讃歎するもの。
四智(しち)とは、阿閦如来(あしゅくにょらい)・宝生如来(ほうしょうにょらい)・無量寿如来(むりょうじゅにょらい)・不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)の智慧を表しており、それらの仏と中心の大日如来とがお互いに供養することによって、金剛界の曼荼羅全体を意味します。四智梵語は多くの法要で唱えられるため、真言宗の僧侶としては最も唱える機会の多い声明です。

真言宗豊山派

宗紋

真言宗豊山派の宗紋は、地蔵院本堂の屋根にもある「輪違(わちがい)」です。この輪違は、仏さまと私たち衆生(しゅじょう) はもとは同じで異なることはない“ 凡聖不二(ぼんじょうふに) ”という教えをあらわしています。

歴史

弘法大師によって開かれた真言宗は、東寺(とうじ)や高野山(こうやさん)を中心に広められました。その後、平安の末期に興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁上人(かくばんしょうにん)によりさらなる新しい力が吹き込まれると、紀州に根来寺(ねごろじ)が創建されました。

鎌倉時代に、頼瑜僧正(らいゆそうじょう)により新義真言の教えが成立しました。宗団は根来寺を中心に栄えましたが、戦国時代の戦渦により、専誉僧正(せんよそうじょう)をはじめ多くの僧侶が根来寺を離れることとなりました。

その後、豊臣秀長公により奈良の長谷寺に招かれた専誉僧正が豊山派をおこし、長谷寺は学山として栄えました。豊山派の派名は長谷寺の山号「豊山(ぶさん)」に由来します。

江戸時代には、五代将軍徳川綱吉公の生母である桂昌院(けいしょういん)が音羽(現:文京区)に護国寺を建立。豊山派の江戸の拠点として末寺を増やしました。

現在は、全国に3,000カ寺、僧侶数5,000人、檀信徒数200万人を誇る、真言宗有数の宗団となっています。